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重版出来泣ける

https://m.youtube.com/watch?v=t2O9yKE1Bxg

 重版出来おもしろかったあ。

全体的にふんわりとして軽い内容なのに、キャラクターが良くて泣けるね。

 

毎回なんかしら日本の番組について書いてしまってるけど、こちらに来てからも見てるのは、

水曜日のダウンタウン

『ゆとりですがなにか』

『重版出来』

だけである。えっへん

PodcastWi-Fiがあるとこでダウンロードすれば外でも聴けるから、学校の帰り道バスの中でよく聴いてて、基本的にはバイリンガルニュースにしてるけど、たまに『たまむすび』と『session22』も聴いてる。

 

カナダに来てからそんなに経ってないけど、一番恋しくなったのが日本語を喋ることで、考えずにスラスラ言葉が出てくるのが楽しくて仕方ない。会話のテンポもイントネーションも日本語LOVEだ。日本語の1000字はあっという間なのに英語の1000wordsはとても遠い。(このふたつくらべるのおかしいけどさ)むかしどれくらいエッセイ書いてたんだろうか。

 

それから、さっき学校1ヶ月でいいやあと思ってキャンセルしようと払い戻しのポリシー(最初の日に一瞬渡されてサインさせられた)を見たら、4週間後の分からしか払い戻せない(辞めることを最低4週間前に言ってね、もし言わないと言った日から4週間後の分からしか払い戻さないよ)とかふざけたことが書いてあって怒り心頭。オリエンテーションでは「70%の払い戻しだよ」としか説明されてない。

 

明日、乗り込んで話すつもりだが、どうせサインしてるし、無理だろう。はわわわわ。

しかし酷い学校である。教員は悪くないとは思うけど(神田外語のほうが良い先生多い気もするけど)、安いだけのことはある。(4週間で100時間弱の授業が日本円で8万強)

 

「本が高い」もそうだけど、「教育費」や「授業料」が高いと人が言っているのをきくと、

たいてい考えず「ただ単に値段が高い」という意味で言っている気がするのだが、

 

私は一般的な「教育費」や「授業料」に関して文句を言うとき、

「全ての人に平等に与えられる金額じゃない」からという理由

「授業の価値が支払った金額に対して低い」からという理由

 

この二つのどちらについて自分が言っているのかを意識するようにしてるのだけど、大学生のころ、小説の単行本は「自分にとって高かった」だけであって、一度たりと「その小説(本でもいいんですが小説すきなので例として小説にしております)の価値が値段に見合わない」と思ったことはないのです。(盛ってます、たぶんあります)

 

なんだか長々と書いちゃったけど、資本主義社会で生活しててさ、目に見えるものから見えないもの形として残るものから思い出とか経験で残るものまで色んなものがあって、それら全てに値段が付いてたりしてさ、それらの値段が「自分にとって高い」のか「価値と照らし合わせて高い」のかは意識して生活したいなあ、と思うんだよね。「(値段が)高い高い病」は患うとモノの価値に鈍くなる気がするしね。

 

(英語)勉強しなきゃ、の現実逃避にブログ(日本語)書いちゃう自分。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あいくるしい。

 

けど死にたいし、たまには泣いてもいいですかね?

 

とほほ