Skill : frequent urination

むかしは「逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ」という碇シンジに共感していたけれど、今は殴ってやりたいです。ほんと欲しいものが何か分からない(読み返すとすごくシリアスに見えて怖いなあ)。しかしここでも性根の腐敗がにじみ出るけど、やりたいことが分からないなんていう陳腐なこと口にしたくなくてね、なんとなくだけど自分の性格とか状況とか色んなことを分析して、それと頭の中にあるモヤモヤした感じをくっつけてみると言葉が見つからなくて、ただその言葉が見つからないことだけが救いなような気がするのさ。単純にそれを没個性的な悩みの中に入れたくないだけかもしれないし、さらに言うと「悩み」という言葉すら使いたくないし、いや悩んでないし、と思うし、ただ何かが欲しいのは事実なんだよね。それで今日ひとりで図書館に行ってちょこちょこっと履歴書を書きかえてメールに添付し送信したのち、ふらりと30分くらいバンクーバーを歩いているときに思ったのさ。不思議だなあ〜なんでこんなとこ歩いてるんだろうって。これは帰りたいとか意味ないとかっていう意味ではなくて、とにかく不思議で。そのあとひとりでCraft Beer Market に行ってビールとハイボールを飲んだわけなのですが、幸せでした。

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だけどこれで終われなくて、あ、この幸せはやばいなと思ってね。その自分の中でたぶん振り返ってみると十八歳〜二十歳くらいですごく大きく変わって、それはどういう変化かというと、反“楽しい”になってしまったんだよね、そのとき。まあいろいろ嫌なことあったし、正直たのしくなかったからね当時。それもあるけど、“楽しさ”っていうものが一時的であると同時に簡易的なものだと思ったわけさ。そっから決定的に周りとズレを感じ始めて、まあその同世代の楽しいに入れない自分に対するアレはあっただろうけど、やっぱりそれだけじゃなくて、意味ないって思ってしまったんだよね。ちょこっと後悔しているというか何て馬鹿なんだって感じるけど、仕方ないわけでさ。それに思うんだよ。現代の楽しさってほんとに多種多様でさ誰でも簡単に娯楽を手に入れられてさ、どんなに冷遇されてても、周りとネットで繋がれて、休日には思い切り楽しんで、それがすごく羨ましいときもあるんだけど、すごく危険だなって感じてて、格差が広がっていく社会の中で、一時的な楽しさとか幸せで我慢しちゃうのってヤバいことだと思う。その、わかった上でなら良いんだけど、そもそも私の中に「楽しまないとね!」という言葉がないから、まったく人と共感できないと思うし、とんでもないことを言ってるような気もするけど、やっぱり派手じゃなくても人にとって爆発的なものってあると思うわけでさ、ただそれを感じるゆとりみたいなものってある程度の豊かさだと思うから、簡単に手に入る楽しさとか幸せで私は満足できないし、する気もないかな。

 

ってことで、実はカナダ来たのはけっこうそういうただ単に“楽しい”をやるのも良いんじゃないかなっていう気持ちもあったんだけど、駄目でしたね。その一般論で駄目っていうわけじゃなくて(ここ成長したなあ〜。以前は“楽しそう”なやつは何も考えてないボウフラだと認識しておりました。まあ実際そうだったのも多いと思うけど)、自分にとってはもう異国で出会った仲間と分かち合える楽しさとかちゃんちゃら不可能で、やっぱり自分が欲しいものって、漠然としたもんじゃないんだなって分かった一日でした。とにかく一つしかないものが欲しいかな。冥王星みたいなのがいいなあ。勝手に仲間はずれにされた結果さらに固有性を手に入れた的な。調べてみたら惑星よりも準惑星のほうが数が少なかった(惑星はやっつ。準惑星はいつつ)から本当によりユニークな存在になったね、冥王星は。というわけで冥王星は名前もカッコイイし、私は冥王星が欲しいかな。何が言いたいかというと、これはわりとむかしからずっと変わらないかんがえだけど、友だちがほしいとか恋いびとがほしいとかやっぱしおかしいや。だって意味ないんだもん、それじゃあさ。

 

なんかJKっぽいな。これをJKっぽいとする自分に驚きつつ、最後に重大発表を。半さんに憧れて24年間1度もしたことがない喫煙をしようと思います。

 

こんな感じで今日は、吸いません。