ここにいるのに


FIELD OF VIEW 「この街で君と暮らしたい」 ~FINAL LIVE~

 


canna もう君以外愛せない

 

もしいっしょにいたいなって人ができたなら、このあたりの曲をしずかに歌ったり聞いたりしたいなあ。

 

えっと、こんばんは。坂井未歩です。

 

「坂井」はZARDのボーカルの坂井泉水さんから。「未歩」は『この街で君と暮らしたい』の作詞作曲小松未歩さんから譲ってもらいました(勝手に)。

 

まいにち生活していると、自分の本意ではない時間や空間に置かれることは多々ありますが、学校はその最たる場所ですよね。そこで人は訓練されて、やり過ごす能力や規範を覚えていくわけですが、わたしは勉強もできなかったし運動もできなかったし人間関係も上手くいかなかったし、今でもとにかくやり過ごすのに苦労します。

 

 

とつぶやいたように、わたしのことを「男」として認識している人たちから、その人が待っている「男性性」を基準にして、「女の子っぽい」だとか「かわいい」とか「年上がイイと思う(弱そうだから)」と言われることがある。

 

そういうとき、わたしは「かわいい」と言われれば、「やったー!」と喜び、「女の子っぽい」もしくは女の子だと勘違いされた場合(たまにある)には、「わーい!」と嬉しがるようにしている。

 

そうすると、相手は少し不思議がって笑う。

 

ただ、あまり上手くかわせないのが「男性」を基準に話を進められたときで、(男っぽくなるために)「もっと太った方がいい」と言われたりすると、わたしには「男性」というカテゴリーの中で争って「女性」を獲得したいなんて気持ち微塵もないんだけどって混乱しちゃう。「弱そう」と言われれば、誰がわたしのことをいきなり殴ってくるのか?と逆に質問しちゃう。

 

そもそも何度だって書くけれど、人の数だけ別の自分が存在していると考えているから、あなたが見ているわたしは本物だし、あなたが抱いた印象も否定しない。だけど、それをもとに人に意見したりするのはどうなんだろう。

 

つねに一人の人として人と接したいって頭にあるのに、それは綺麗すぎる理想に過ぎず、目の前に座っている自分よりも人は画面の中の文字を見つめるし、考えた気持ちではなく、頭にある音を伝えるし、わたしには顔の見えない人が多すぎて、「他者のそこにいるのに不在」「自己のここにいるのに不在」を実感してしまう。

 

ふつうは考えることじゃないのかもしれないけれど、取って代わることのできる存在として過ごす時間に意味なんて何もないんじゃないだろうか。ここのところずっとそれを考えているのだけど、理想の関係って、互いを所有せずに二人の空間を愛で満たすことじゃないかな。

 

LINEで拍車がかかったのか、自分と同世代の人にゆっくり言葉を選んで話す人って本当に少ない。学校の授業も、先生に指されたら、すぐに回答しなければ変な空気になるし、そういうものが染み付いているのかもしれない。それに大人になればなるほど、周りからは手際よく素早く物事をこなすための容量の良さやハキハキと明晰に喋り考える能力が求められるんだもんね。

 

でも、もしできるなら今書いているように一文字一文字考えながらゆっくり喋ることができたらいいのに。すべてがインスタントな社会で、未知のすきな人を、その人の言葉を永遠に待ちたい夜に浮かんだことをつらつらと書きました。

 

わたしの今日といっしょにおわります。