微笑みをあずけて

光GENJIの曲なんだけど、歌詞が素晴らし過ぎる…

 

チャゲ&飛鳥とか安全地帯に曲書いてる松井五郎が作詞らしい。

 

踏み切れるか分からないけど、とりあえず働くこと稼ぐことに執着するのやめて、本当に大切なこと考える。3月から仕事減らそうと思います。

 

現代ってやっぱりおかしい。いまこうしてブログ書いてるけど、それを読んだとき、この文章を私が書いたという証は何もないのに、誰もそれを疑わない。

 

LINEもTwitterFacebookInstagramも全部ローマ字と数字の組み合わせが人に付けられて、それでお互い識別して、信じている。

それだけの繋がり、とても虚しく感じる。

 

ローマ字と数字、いつか本当の人間にしたい。

 

また未成年が飛び降りたのか。とりあえず自殺するまで、どうして学校行き続けたの?とかそういうこと言う人がいなくなる社会作りたいな。やっぱり書かないと。さいきん全く書いてなかった。書かないと!

 

YouTube貼れなかった、スマホから。

 

おわり

人間か人間じゃないか

ウォーキングデッドを観ています。

とてもくだらないのですが、はらはらしますし、とても良くできていると思います。

 

ウォーカーと呼ばれるゾンビはもともとは人間で、噛まれたり引っ掻かれたりすることによって感染し、ウォーカーになるのですが、登場人物たちには「ウォーカーは人間なのか?」という葛藤が常につきまとっています。

 

とてもグロテスクで観てられないのですが、続きが気になってしまうようにできていて、まんまとそれにはめられています。

 

そして、本題です。最近、人間関係について考えることが多いのですが(悩んでいないですし問題もないのですが)、はっきり申しまして、ほんの一握りの人間以外は人間じゃないんだと思います。(わたしにとって)

 

こういうときだけ人間は関係性の中に存在すると思ったりしてるのかもしれません。ある人の喪失に心を傷めているのか、ただ「死」に心を傷めるのか。

 

昨夜は23時までということになっており、誕生日パーティということで了承いたしました。
しかし23時半になっても静かになる気配がなかったので(パーティーは終わり、幾人かは帰ったようですが)、わたしは洗面所に向かい、一言も口をきかずにドアを思いきり閉めて部屋に戻るというかたちを取りました。その結果大人しくなったのですが、わたしの心に多少の申し訳なさや色々なことが浮かんできました。結局あまりよく眠れませんでした。寝たのは2時半くらいです。起きたのは5時前です。これから8時間以上働きます。

朝起きると謝罪文がドアの下から部屋に入れられていました。申し訳ないということ、パーティールームが借りられなかったということ、もう二度と家でパーティーしないということが書かれていました。

こちらはもう会話する気もありません。わたしにとって、まだあなたたちは人間じゃないです。誕生日とか糞ほどどうでもいいのです。わたしは自分の誕生日もどうでもいいと思っています。仕方なく一般的に考えて大目に見るだけであって、個人の感情を持ち出せば、誕生日のなにがそんなに大事なんだということになります。

また謝罪は誰のためにあるのでしょう。わたしは人に心から謝ったことなどありません。わたしはわたしの言葉がわたしの心の申し訳なさに足りたと思ったことがないからです。そもそも謝ることは既に過ぎてしまったことに関することが大半ですから、正直、どうでもいいのです。ただ、今後二度と家でパーティーしないというのは評価いたします。ありがとうございます。もう粗大ゴミ人間だと思わずに済みます。ウォーキングデッドを観ながらウォーカーを一人召喚してやりたいと思わずに済みます。

 

人間じゃない人へ、人間じゃない人より

自己分析

‪学生の頃、自己分析をさせられることがあったと思う。アルバイトを探すとき履歴書に自己PRの欄を埋めたことがある。でも、どれもどんなことを書いてもその言葉が自分を表しているとは到底思えなかった気がする。学生の頃、よくコミュニケーションが取れずに困っていた。相手が自分との接触によって構築した自分像を相手の自分に対する言動の中に発見したとき、戸惑い、悲しみ、怒り、憤った。本当の自分は違う!と思った。でも、本当の自分なんてそんな大それたものはないのだと考えるようになった。自分は一人一人との関係性の中に生きていると考えるようになったからだ。彼に対する自分と彼女に対する自分を切り離して考えるようになった。それはとても楽な捉え方だと思った。自分は彼等にとっては冴えない奴かもしれない。つまらない奴かもしれない。そういう自分も自分だけど、他方で自分は魅力的な自分として存在できると感じた。誰にとっても魅力的である必要なんてないわけだ。打率が高い人になりたいという想いはなかなか消えないし、結局なかなかコミュニケーションが上手くいかないと凹む。でも、それはその中だけの自分に過ぎない。やっぱり自分は結局相手に依存したコミュニケーションしか取れないみたいで、それはつまりどういうことかというと、この人とあの人といるのでは全く居心地が違ってしまい、それはつまり多くの人と共存する能力がないというわけだ。自分は怒りん坊で甘えん坊らしい。‬人によって態度を変えて、その人と一緒にいると居心地が良いというのは、その人の中にある自分像に甘えているということだと思う。こんな自分を評価してくれる人に会えた。こちらに来て一番いっしょに時間を過ごしているのは68歳の人だ。とても仲が良い。魅力的な人で凄い人だ。その人に評価される自分、殺したくない。その人の中にある自分に支えられることがあるし、鼓舞されることもある。バンクーバー、冬は日照時間がとても短く雨が多く(そのうえ今年は)寒く嫌いだ。だけど戻ってくる。年に数回戻ってくる!カナダに来て、のんびり自由になるつもりが金持ちになりたい、自由になりたい!!自由のためにお金がいる!と思うようになってしまった。宝くじ当たればなあ。何処に住んでいても考えることは大抵同じかもしれない。ありあまる富、同時に存在する自分、要らない自分を消せる自由がほしい。

あけましておめでとうと

久しぶりのパソコンからの更新であります。家というか部屋にパソコン環境が復活したことをここに高らかに報告いたしますです。この歓喜、何事にも代えがたいとまではいかないけれど、まったく書くことができなかった2016年後半でしたので、まあ良かったなあ、これからがしがし書かないとなあ、と思いきや仕事で使っているキーボードに慣れすぎてMacのキーボードが打ちにくい打ちにくいであります。まあこのブログでは兎に角くだらない愚痴ばかり書いてその内容の乏しさや拙さに絶望してみたりしていて、読み返すのも嫌だし、書き足すことにもモチベーションが湧かないのですが、これを作って書き出した目的が近況報告だったことを思い出して、短くても定期的に更新しようと思います。

 

年々いちねんを振り返ったりしなくなり、そもそもその意味が分からず(一年の区切りがなんなのだと思ったり)、ただ2016年の後半は怒涛の不運に見舞われたりしたわけで、やっと厄年終わったぜ!と思ったりしているわけだから、やっぱり私も一年の区切りを感じて意識しているのかなあ。ただ年が明けた次の日には、私は一つ年を重ねるという、いわゆる誕生日があるのですが、それのほうが意識しないというか、どうでもいいよなあって、ただ25歳っていうのは少し大きいような気がするわけで、やっぱり年齢を訊かれたときに「24です(キリッ」というのと「25です(汗汗」というのとでは、腐った加藤か腐ってない加藤まさるくらいの差があるような気がしちゃっていて、アラサーなんだなあと悲しくなっております。

いきなり話が飛ぶけど、結局ただ生きているだけでいいやとなるかこのままでいいのかなってなるかなんだよなあ。こっちにいる人はただ生きているだけでいいやあではないんだけどちょっと苦手かもしれないなあ。

 

あと5ヶ月だからもう少し頑張ってみよう。日本は大きいところの圧力はとても強大だし、それによって同じ場所にいるはずの人も攻撃してきたりするから厄介だけど、多様性があるような気もする。東京に住んでいたからかもしれないけど。それにこちらで見ているものや感じているものと東京で見ていたものや感じていたものとを比べることは軽率かもしれない。

 

と、とても抽象的な内容になってしまいましたが、もう眠いし怠いので終わりたいと思います。今年もよろしくお願いいたします。

めんどうくさがり

‪髪が長くなってきた。朝から仕事のために結っていた髪を‬ほどいたとき、愛用している香水の匂いが少しした。とてもイイ匂いだった。仕事はハードだった。年末のスーパーなのだからそりゃ忙しいのは仕方ないのだけど、なかなか思うように働けなくて、体調もどんどん悪くなっていき……。とにかく、ここ最近インフルエンザ→中耳炎予備軍の耳痛→気管支炎予備軍の空咳。という具合で体調がすこぶる悪いです。

しかし25日26日と連休で久しぶりに読書できてよかった。筒井康隆の「七瀬ふたたび」が面白かった。「ななせ」って姓名どちらにも使えるし可愛い名前だね。とことんツキのない12月だと思ったけど、今日スーパーの古本コーナーをさがしてみたら「エディプスの恋人」が見つかった。

とりあえず無事に年を越して、引っ越しして落ち着いたら英語の勉強を必ずしよう。何のためにここにいるのか、いや、何のためという何のは他人にとって必要なだけであって自分のために必要なわけじゃないわけじゃないのだけど、つまり他人に説明するために自分にとっても必要だねど、それに縛られずにいてもいいんだよね。理由は行動に先立たない。と個人的には思う。

あわわわわわわわ。

 

おわり